vol.05
松長根 悠仁 ✕ 大関友翔
MATSUNAGANE Yuto x OZEKI Yuto
あの頃の僕たちは、今──。
等々力に近い場所で生まれ育った松長根、麻生グラウンドに近い場所で生まれ育った大関。
幼い頃から家族でフロンターレを応援していた。
やがて、それぞれの歩み方で、フロンターレU-18でチームメイトになったふたりは、夢であり目標だったトップチームに昇格した。
あの頃、フロンターレのユニフォームやグッズを身に着けて一生懸命応援し、選手たちに憧れた川崎市のサッカー少年が、
川崎フロンターレの選手となった今、子どもたちに夢を与えている。
※本インタビューは2026年8月半ばに実施したものです
家族でフロンターレを応援
フロンターレ30周年特設サイトに、今回、理由があっておふたりに出てもらいました。
大関友翔(以下、大関)アサヒくんが出ていたやつですね。
松長根 悠仁(以下、松長根)僕も見ました。
おふたりは、子どもの頃からフロンターレが好きで、その後、アカデミー選手となり、今現在はトップチームの選手になったという経験があります。大関選手は麻生区、松長根選手は中原区出身で、それぞれ麻生グラウンド、等々力が“地元”という環境でもありました。フロンターレが好きになったキッカケはありますか?
松長根家族が好きだったので、僕も気づいたら好きになってました。だから、最初のキッカケまでは覚えてないです。
大関フロンターレを応援している熱量がある家族だったから、僕も子どもながらに必然的に好きになっていました。お父さんとお兄ちゃんに、よくついて行ってました。
松長根うちもそう。よく等々力について行ってました。
“ファースト・フロンターレ”の記憶は?
大関僕は、4歳の時で2009年のホームゲームのサンフレッチェ広島戦。7対0で勝ったんですけど、ルーキーだったノボリさん(登里享平)が初ゴールを決めて、後からそれが「ノボリさん」だと知りました。
松長根僕は、2007年の(ヤマザキ)ナビスコカップ決勝のガンバ大阪戦。3歳だったけど記憶はあって、うなだれて帰ったことを覚えてます。
大関3歳でうなだれるんだ(笑)。2009年のナビスコカップ決勝は、最後にFC東京の平山選手に決められて負けて。あの試合は、お父さんとふたりで観に行ったなぁ。
どの選手が好きだったんですか?
松長根レナチーニョが好きだった。
大関レナチーニョは、すごかった。
松長根ハッキリしたプレーで、分かりやすかったし。
大関ダイナミック。
松長根小学生で入ってたチーム(新城SC)で背番号「34」をつけてた。
大関僕は、小さい頃は、ジュニーニョとかレナチーニョとかフォワードの選手が好きで、ゴールシーンばかり観てました。プレミアムDVDの全ゴール集は、全部覚えているぐらい何度も繰り返し観てた。自分が成長してサッカーが分かるようになると、ケンゴさんを好きになりました。
松長根僕は、谷口博之さんも好きだった。
「そこに、タニ」と言われてましたね。
松長根なんか、点を取るなぁって。
大関僕は、2009年は試合をよく観に行ってたし、いろいろ記憶があって。首位で残り3試合になって、J2降格が決まってた大分トリニータに負けたのが…。最後3試合勝てば優勝だと思ってたから、嘘でしょ!? って。
相手チームには家長選手がいたんですよ。
松長根えっ、アキさんがいたんですか。
大関当時は、試合をリアルタイムで観られなかったから、速報を見ていて、大分のフェルナンジーニョに点を取られたと知って。でも、あの当時は、フロンターレってそういう時に負ける印象があった。
松長根あぁ。
大関4歳の僕は怒ってましたね(笑)。
松長根僕は、その辺りはあんまり覚えてない。2011年の大雨のガンバ戦で、ケンゴさんのFKで勝った試合は覚えてる。でも、当時は安藤さんのデビュー戦とはわかってなかったです。
その時代から知っていると、30周年記念映像を観て、「わかる」っていう場面がけっこうあるんですね。
大関・松長根そうですね。
川崎フロンターレ30周年記念ムービー
川崎フロンターレ公式チャンネル
憧れの選手たちと触れ合った喜び
選手たちにサインをもらったりしましたか?
大関プレハブ時代は、選手がクラブハウスから出てきたところで、「サインください!」とお願いするスタイルだったので、選手の出待ちをして、サインをもらっていました。
松長根僕も麻生グラウンドに来たことがあります。小さかったから覚えてないこともあるんですけど、悠さんと写真を撮ってもらいました。
大関僕も悠さんと撮ってもらった写真がある。あと、思い出と言えば、ファンだったケンゴさんを待っていた時に、なかなか出てこなくて、どんどん暗くなってきて...、スタッフの方から取材を受けていて時間がかかるかもしれないと聞いて、待つのを断念してレナトにサインをもらって帰ったこともありました。
今日は、ご家族にも協力してもらって実家にあるグッズをいろいろ持ってきてくれたんですよね。
松長根これは、川島永嗣さんの2007年の試合スケジュールポスター。
大関サインが入ってるじゃん。
松長根お母さんが「あるよ」って。
サインがふたつ入ってますね。
松長根なんでですかね?
大関なんで、聞いてこないの?
松長根お母さんがなんか言ってた気がするけど、そうなんだぁって聞き流しちゃった(笑)。
松長根選手が小さい頃の写真も。
松長根かわいい写真です(笑)。
大関めっちゃかわいいやん。
松長根あとは、トレカ。ファンサとかでもらってたやつかな。
大関トレカめっちゃ揃えてた。ナガネ家みたいに、うちも番号順に並んでたよ。今日は、ヤスさん(長橋康弘)のがあったから、それだけ抜いて持ってきた。後で、サインもらおうっと。(ちなみに大関選手は、ファンクラブ会員特典の『マイフロンターレブック2009』も持参してくれました)
こうやってグッズを大切にご家族で持っているんですね。
大関あとは、僕が着てた14番のユニフォーム(コンフィットシャツ)です。
松長根ちっちゃい時のだね。
大関サインがいくつか入ってるけど、ヴィトール ジュニオールかな。あと、お兄ちゃんがフォワードだったので、テセ選手のユニフォームは、お兄ちゃんからもらった。
松長根僕が持ってきたのは、ケンゴさんの代表のユニフォームと、お父さんがファンでずっと着てた周平さんのユニフォーム。
大関年季入ってるよね、これは。
ナガネ選手のお父さんは、寺田周平さんファンだったそうですが、周平さんの元で息子さんが選手をしていたのは、きっと感慨深いでしょうね。
松長根僕が小学3年生でエリートクラスに入った時に、偶然、周平さんがコーチだったので、その時は喜んでました(笑)。
フロンターレU-18での出会い
松長根選手は、3年生でセレクションを経てエリートクラスに入り、ジュニアの方は、3回セレクションにチャレンジしてU-12に加入したそうですね。大関選手は、3年生でエリートクラスのセレクションを受けて不合格となったそうですが、その後、FC多摩ジュニア・ジュニアユースを経てフロンターレ・アカデミーからのスカウトを受け、U-18に加入。それぞれにチャレンジを続けて、ふたりは高校1年で出会います。
松長根僕たちが1年生だった2020年にコロナ禍になり、しばらく練習も試合もなくて、オンラインでトレーニングしたり大変でしたね。
大関その時は、まだ活動が対面でできてなかったから、ナガネともまだほとんど話してなかった。
松長根そうだよね。
大関選手はU-18からフロンターレに入り、コミュニティに入っていくのはどうでしたか?
大関でも、僕の代は意外とU-18から入った選手も多くて半々ぐらいだったので。最初は内輪ノリみたいなものはあったし、先輩たちも知ってる後輩から絡みに行くのは自然なことですけど、あんまり入りにくさはなかったです。先輩たちが優しかったので。
松長根大関は、トレーニングして1週間ぐらいで、ヤスさんが上のチームに行けという感じだった気がする。
大関活動を再開して、だいぶ早めにひとりで上げてもらったので、先輩と話すしかないから、そこで絡んでもらえるようになった。
松長根僕も一緒に試合に絡むようになってから、大関とも自然と仲良くなった。
大関もうその頃には、今みたいに仲良かった。
それから、月日が経ち。
大関その状態で、7年目。
松長根長いね。そんな感じがしないな。
大関仲は、深まるばかり。
福島ユナイテッドFCでも、一緒にプレーしましたしね。
大関福島の時は、慣れたら、逆に一緒にいなかったかも。もはや、しゃべる必要もないという感じで。
松長根ふふふ。
大関いたらしゃべるし、ご飯にも行くけど、つきっきりという感じじゃなかった。一緒に行ったのは、心強かったけど。
松長根そうだね。
大関福島の時は、サポーターの皆さんが、“お母さん”のように気にかけてくれてました。
松長根(笑)。
大関ふりかけとか、これかけて食べなさいって。
いろんな経験をしましたね。
松長根福島で2年間生活して、生きる力がつきました。練習着は毎日自分で洗濯していたし、食事も自分で用意していました。焼くだけだけど。ごはん、鮭とか魚を焼いて、目玉焼きかスクランブルエッグを作り、野菜はブロッコリーとトマト。肉を焼く場合は塩コショウだけ味付けしてました。
大関僕も自炊、洗濯、掃除など頑張りました。でも、料理は2週間ぐらいトライしたけど、僕は食べるのにも時間がかかるのに、作るのにも時間がかかって、さらに洗い物も増えてコスパが悪くて(笑)、夕食は定食を外食して、夜食はおにぎりを最初は作って、それからふりかけごはんになり…。朝食は、ごはん、インスタントのみそ汁、鯖缶、野菜ジュース、ヨーグルト、プロテインなど僕にできる最大限のメニューで用意して食べてました。
福島時代に、撮影に行かれた大堀さんが、ふたり一緒だとU-18時代のようなコンビネーションでやりやすそうだと感じた、と。
松長根それは、確かにそうですね。
大関確かに。
福島在籍時、ご家族は試合に来られていたんですか?
松長根来てましたよ。
大関うちも。車で4時間ぐらいなのかな。日帰りが多かったと思いますけど、ナイターだったら泊まることもあったかな。
初昇格でプレミアEAST優勝
アカデミーの歴史上、プレミアEAST昇格初年度での優勝は、素晴らしかったですね。
大関確かにそうですよね。
松長根そうですね。
3年生の時は、キャプテンだった高井(幸大)選手がトップチームに帯同して不在になることが多かった中、10番の大関選手がゲームキャプテン、松長根選手がディフェンスリーダーとして、頑張ろうという絆が感じられました。
大関それは、ありましたね。高井がいなかったからこそ、言い方は変だけど、あいつがいない分、頑張ろうと団結したところもあったかもしれない。
お互いの存在は、どんな感じでしたか?
松長根試合中は、ビハインドの時とか、めっちゃ言い合ってたよね。
大関ケンカしてたねぇ。
松長根負けてる時はとくにね。
大関それぐらい、言い合えてた。(五木田)季晋(現 日本大学/水戸ホーリーホック内定)も言うし、3年生は言ってたよね。
松長根「ここ出してよ」とかね。季晋と大関は、とくに言い合ってた。
大関要求し合ってましたね。
ヤスさん(長橋監督=当時)は、選手たちに「やれば、できる」という自信を植えつけ、勝ちながら成長することを促していたと聞きましたが、大人になった今だから思うことはありますか?
大関チーム全体の共通認識というか、みんなが理解していることが多かった。ヤスさんからは、毎日のように口酸っぱく、「Hudl(ハドル)」(サッカーの映像分析プラットフォーム)を見ろって言われてた。選手個人の映像も見るように言われてたから、本当に再現性のあるプレーがすごく多かったと思う。
松長根そうだね。僕は2年生の時はとくに、毎日ようにヤスさんに呼ばれて、映像を見せてもらってた。当時は、「またか…」と思いながらも、毎日やってくれてた。ヤスさんには、めちゃくちゃ僕の成長曲線をあげてもらったなと思います。
大関褒めてくれるし、怒られることはあまりなかったけど、言いたいことが伝わって、こっちも本気でやるし、この人の言うことを聞いておけば成長できると思ってました。
監督のためにも、本気で頑張ろうという。
松長根そうですね。
大関そういう意味でヤスさんもですけど、周平さんも、この人のために頑張ろうと思わせてくれました。
ヤスさんと周平さんは、選手時代、同い年で親しい関係性でもありました。
松長根え、そうなんですか?
大関そうなんですか? 僕、ヤスさんの方が年上だと思ってた…。
メモリアルゲーム 〜U-18編
オーゼキ’s セレクト/ナガネ’s セレクト
2022年12月11日(日)
会場:国立競技場
高円宮杯 JFA U-18サッカー プレミアリーグ 2022
ファイナル
川崎フロンターレ
(EAST王者)
●2
vs
3
サガン鳥栖
(WEST王者)





アカデミー時代の一番印象深い試合は?
松長根僕は、プレミアファイナルの鳥栖戦。
大関僕も。やってきたことを全部出し切って負けた。もっと上っているんだなって。自分たちのチームが最強だと思っていたのに。負けるわけがないと思ってて、ちゃんと普通に負けた。
松長根僕も普通にやって勝てると思ってたけど、福井太智くん(現 FCアロウカ[ポルトガル])に普通にやられて…。
大関すごかったよな。
松長根すごかった。めっちゃ悔しかったの覚えてる。
夢を叶える
高校3年生の2022年は、トップチームの練習参加も経験しましたね。トップ昇格も見据えながらという心境でしたか?
大関でも、全然ダメでした。その頃、U-18がトップチームと冬と夏に練習試合をする機会をもらってたんですけど、U-18対トップだとけっこうやれるのに、ひとりで入ると全然違った。
インパクトがあったのは?
大関僚太さんじゃないですか?
どう感じましたか?
大関うまい。衝撃。
外から見ていたのと違う?
大関全然違う。ちょっと自分もできるかなってイメージを持って入ると全然できなくて、めっちゃできてる人がいて、それが僚太さんだった。
松長根僕はショウゴ(谷口彰悟)さん、ミキさん(山根視来)かな。代表選手はやっぱりすごいんだな、これぐらいじゃないとダメなんだって思いました。
トップ昇格が決まった時のことで覚えていることはありますか?
松長根同じ日に言われたよね。
大関育成部長の山岸さんから、それぞれ別々に言われたけど、なんとなくナガネも呼ばれているのがわかって。その帰りにチャリだったナガネと、(富士通スタジアム川崎から)川崎駅まで歩いている僕が出会った。
松長根そうだったね。
大関それで、分かち合った。「頑張ろうな」って。
青春ですね。
松長根そうですね(笑)。
小さい頃のふたりを思うと、夢を叶えた瞬間でもありますね。
大関そうですね。
松長根確かに。
あの頃の大関少年、ナガネ少年に、なんて言ってあげたいですか?
松長根「頑張ってね」ってひとこと(笑)。
大関僕は、何も言わないかな。言ったら、「俺、プロになれるから」とか調子に乗っちゃうタイプなんで。あえて、言わない。でも、今思えば、僕はナガネが受かったエリートクラスを小学3年生のときに一次で落ちたのもよかったのかなと思います。真福寺FCのエースが満を持して受けにいって、一次で落ちてびっくりでしたからね。自分が思っていた以上にフロンターレってすごいクラブなんだなって認識させられたから。
メモリアルゲーム 〜トップチーム編
オーゼキ’s セレクト
「僕はACL Eliteの決勝。やっぱり負けてる試合なんだよなぁ、覚えている試合って。なんていうんだろう。なんか夢のようじゃないですけど、短期決戦だったのもあって、ちょっとふわっとした感じもあり、すごいいろんな感情になって終わった。でも結局のところ、振り返るとめちゃくちゃ印象深いし、悔しかったなぁって思います。」(大関)
2025年5月3日(土)*現地時間
会場:キング・アブドゥッラー・スポーツシティ・スタジアム
AFC CHAMPIONS LEAGUE ELITE 2024/25
決勝
川崎フロンターレ ●0 vs 2 アルアハリ





メモリアルゲーム 〜トップチーム編
ナガネ’s セレクト
「僕は1年目の湘南ベルマーレとのデビュー戦。試合の週にケガ人が出て、たまたまですがベンチに入ることになった。それで、試合中にジェジエウが負傷して、そこでも急に出ることになって、自分でもプロになった実感がよくわからないまま試合に出て、あっという間に終わっちゃった感じがある。でも、楽しかった。」(松長根)
2023年3月4日(土)
会場:等々力陸上競技場
2023明治安田生命J1リーグ
第3節
川崎フロンターレ △1 vs 1 湘南ベルマーレ



夢を与える
ふたりが思うフロンターレらしさは、どういうものですか? 子どもの頃、なんで好きだったかという話にも通じるのかもしれませんが。
大関フロンターレって、サポーターが試合に負けても拍手をするじゃないですか。それで、僕のお母さんが、「本当にサポーターが優しいよね」って言っていたのを、めっちゃ覚えてて。ほとんどブーイングするところを聞いたり観たことがなかったし。そのことは、小さい時だけじゃなく今でも思うんですけどね。それこそ地域密着じゃないけど、サポーターを大事にしているからこそ、選手のことも大事にしてくれるというのが川崎のよさであり、ファミリー感が強い。アカデミーへの愛もすごいじゃないですか。トップチームに上がった今でも、ファンサ(ファンサービス)とかしててお母さんみたいに話かけてくれる人も多くて、すごいあったかいなって思う。「ゼキに似合うと思ったから」とか「ゼキが、これ好きだと思ったから」とか言ってくれるとすごいうれしいです。
松長根僕も小さい時に、選手たちとファンサとかで触れ合う機会があって、それってフロンターレがいろいろ活動しているからじゃないですか。地域で触れ合う機会があった時に、子どもだからっていうのもあったかもしれないけど、当時のナガネ少年に対しても(笑)、選手みんな優しくて、かっこいいなって思ってました。
松長根選手は、商店街回りで、子どもたちがついてきた時、逆の立場を想像できるから、気持ちがわかると言ってましたね。
松長根小さい頃は、選手を見つけたら追っかけてたし、もし自分があそこにいたら、ついていきたい気持ちもわかる。優しくされるとすごいうれしかったのを覚えているので。
子どもの頃、どういうことがうれしかったですか?
松長根小さい時は、選手が目線を合わせていろいろ話しかけてくれました。照れちゃって、僕は上手く答えられなかったですけど、それでもうれしかったのを覚えています。
大関僕は、麻生グラウンドで選手にサインをもらいたくて待ち伏せしてましたけど、ファンサしてもらえるのももちろんうれしかったし、フロンターレは触れ合う機会が多かったこともうれしかったです。
今はファンサービスをする側になりましたが、してもらう側の気持ちや経験を知っていると感じ方が違うように思います。それは、意識してますか?
大関・松長根意識します。
では、サッカーとフロンターレが大好きな子どもたちに、何かメッセージはありますか?
松長根僕、昨日手紙をもらったんですよ。小学6年生の子からで、「一緒にサッカーができるように頑張ります」って書いてあって、なんかうれしかったです。
大関それで言うと、僕もホーム開幕戦の時に、アップから引き上げる時に小学生ぐらいの子たちがいて、僕のユニフォームを着てる子がいたから、話しかけたんですよ。そしたら昨日、麻生に来てくれて、「サイン書いてください。また会おうぜって書いてください」って言われて。
松長根かっこいい。
大関今、僕がプロになってサインを書いた子たちがいずれプロになるかもしれない。悠さんとかそうなんですけど、自分がファンサしてもらったり写真を撮ってもらった選手と一緒にサッカーできたので。
そういう意味では、憧れの人たちとサッカーをするのは、どういう気持ちだったんですか?
大関さすがに今は慣れましたけど、U-18の時は、「うわ、本物だ」って思ってました。話しかけられただけでうれしい。
松長根不思議でした。U-18の頃は、憧れの目で見てましたね。
そんなふたりが、今度は、サッカー少年に夢を与えている。すごい話ですね。
大関なんか、ぐるっと回っていく感じが。
松長根そうだね。
それこそ、子どもの時にサポーターとして経験した“等々力劇場”を、選手となって体感してみて、どうですか?
松長根試合終盤になればなるほど、歓声が大きく聞こえるし、本当に大きいのかはわからないけど、会場全体が「もう1点」っていう雰囲気になる気がしているので、自分が相手の立場だったらこわいなって思う空気感があるなと思います。
大関何で、ああなるんですかね? 本当に揺れますよね。あれは、マジですごいです。
Message from 悠
ふたりが子どもの時に2ショット写真を撮ってもらったことがある小林悠選手からメッセージをもらいました。
「写真は、見せてもらったことがあって、まず、自分のことを『若い!』って思ったのと、小さかったけど、ふたりそれぞれ面影があって、自分がファンサービスした子が本当にプロになったりするんだなということを初めて実感した出来事だった。よりファンサービスを丁寧にやらないとなと思えたし、自分は夢を与えてる側なんだなと思った。今度は、ふたりが夢を与える番だね」
profile
松長根 悠仁
まつながね・ゆうと
2004年9月14日生まれ、神奈川県川崎市出身。
小学3年生でフロンターレのエリートクラスにセレクションを受けて加入。小学5年生でフロンターレU-12に加入すると、フォワードからディフェンダーにコンバート。U-18では2年生でプリンスリーグ関東優勝、3年生でプレミアリーグEAST昇格初年度で優勝をする。2022年6月28日、トップチーム昇格内定が発表。
「小さい頃からずっと見ていたフロンターレでプロサッカー選手になることができ、とてもうれしく思います。これまでお世話になった方々や、いつも熱い声援を送ってくださるサポーターの皆さんに恩返しできるよう頑張ります。まずはU-18で、クラブユース選手権優勝と、プレミアリーグEAST・ファイナル優勝という結果をサポーターの皆さんに届けたいです。自分の良さである勝ちに対する気持ちを全面に出し、1日でも早くトップチームで試合に出られるよう、日々努力していきます」(当時のコメント)
2024年から2年間、J3福島ユナイテッドFCに育成型期限付き移籍を経験。両サイドバック、センターバックと最終ラインのどこでもプレーができ、百年構想リーグでは、フロンターレ伝統の背番号「2」をつけ、センターバックの一角として試合出場を重ねた。
profile
大関友翔
おおぜき・ゆうと
2005年2月6日生まれ、神奈川県川崎市出身。
5歳上の兄の影響でサッカーを始める。真福寺FC、FC多摩ジュニア、FC多摩ジュニアユースを経て、フロンターレU-18に加入。U-18に加入後、2年生でプリンスリーグ関東優勝、3年では背番号10を背負い、U-18プレミアリーグEAST優勝。2022年6月28日、トップチーム昇格内定が発表。
「川崎フロンターレU-18からトップチーム昇格が決まりました大関友翔です。小さい頃から憧れであった川崎フロンターレでプロサッカー選手になれることを、とてもうれしく思います。同時に、いつも応援してくれていた家族、友人、これまで指導していただいた方々、そしていつも温かい声援を送っていただいているサポーターの皆様にとても感謝しています。一日でも早くトップチームの試合に出て、恩返しできるように、人一倍の努力をしていきます。応援よろしくお願いします」(当時のコメント)
2024年はJ3福島ユナイテッドFCへ育成型期限付き移籍し、J3リーグのベストイレブンを受賞。逆をとる、相手の矢印を折るプレーを得意とし、正確なトラップや素早いターンなど、技術とサッカーセンスを兼ね備える存在。2025年には、初の日本代表入り。現在、ロサンゼルス五輪世代の司令塔としても注目されている。フロンターレ30年の歴史で、史上最年少で選手会長を務めている。












